SNSで簡単に繋がれる時代との向き合い方

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SNSとの向き合い方

こんにちは、Yukikoです。

今回はSNSについて少し語りたいと思います。

先日以下の文章を私のインスタグラムのストーリーに投稿しました。

 

最近の世の中には、SNSというものがたくさんあって、人との繋がりが簡単にできてしまう。その中でもこのインスタというSNSは、ポジティブでキラキラした一面だけが、切り取られるようなところがあるから「本当のところは。。。」を話すのが難しい。

本当のところ、インスタやLINEなど全てのSNSのアカウントを一旦なくそうかと考えていた。SNSのいいところは、すぐに人との繋がりが持てる。でもそれが、思わぬ落とし穴でもあったりする。

なぜそこまで考えているのかというと、最近感じる焦燥感が原因。アメリカに来て5年目。でもずっと心は日本にあった。そんな私が直面しているのが「私は何人?(何者?という表現の方が近い)」

これ自分でも「ウソやろ?」とびっくりしている。私は今まで日本人として生まれ育った。アメリカに来ても絶対最初に、「I’m Japanese.」と紹介する。そんな私が全く自分で気づかない間に、めちゃくちゃアメリカナイズされていた。みんなからしてみたら「そんなん、あんた前からやで」とツッコミがきそうなのだが。

日本からアメリカに渡り、最初の数年はアメリカのこともよくわからず、外国人気分で住んでいた(だってほんまに外国人やから)。それがミシガンで就職し、日々過ごしていく中で関わる人は、もちろんネイティブのアメリカ人、そして私が目にする耳にする日常はもちろんアメリカ。

ペラペラ話せるのはもちろん日本語。でも最近話していてしんどいのも日本語。ペラペラ話せないのはもちろん英語。うまく伝わらず理解もできなくて、もどかしさを感じるのは英語。でも話しててラクだと感じてしまうのは少しばかりか英語だったりする。

本題に入ると、アメリカで生活していく中で、アメリカの常識やカルチャーに、知らない間にどっぷり浸かってしまっていた。日本の常識を前よりもより深く疑うようになり、どこかしら日本のノリにもついていけなくなってしまっているのかもしれない。

そんな中で、生きるステージがまるっきり変わった人達とのコミュニケーションが、うまくいかなくなってきた。簡単に繋がれる時代、いつでも日常を覗ける時代、どこでもドアのようにどこへでも行った「気持ち」になれる時代。なのに、実際はちゃんと私達、違った世界で過ごしている。

この日常のギャップと、私自身の知らない間の大きな変化と、アメリカと日本の間でもがいている自分とで、しんどくてどうしていいかわからない。

こういう焦燥感を誰に話しても分かってもらえず、話さなかったら良かったと思ってしまう。かと言って、話さなくてもストレス。この焦燥感の持っていきようがわからず、自分で解決しようとあらゆる手法を試みた(アンガーマネジメントとか読んでみた)けど、全く腑に落ちない。気分転換を図ろうとするけど、全く転換にならない。なにをしても、どうあがいても変わらない。

誰に何を話しても何も分かってもらえないという絶望感さえ感じる。

簡単に繋がれるというツールが悪いのかと考え、全てを一旦やめてしまおうかとも思う理由がこれ。これは誰が悪いとかそんなんじゃなくて、ただただどうしようもない。

SNSは今の時代とても大事だからこそ、このツールを使って、私はどう生きていきたいのかを考えている。生きていきたいと思う方向性が、このSNSに反映されるのだろうと思う。

 

上記にも書いている通り、インスタグラムはキラキラしている。

楽しいこと以外は投稿してはいけないような、そんな気分になり

たまにそのような雰囲気をぶち壊してしまうのが、私のアカウントである。苦笑

 

上のストーリーを投稿したところ、意外にも反応してくれる人が多く

大学以来連絡していなかった友人や

ここ数年やり取りがなかった友人が連絡してくれて

 

私も同じように人生について悩んでいる

私もこのままの生活を送ることに危機感を感じている

 

となかなか周りには気軽に打ち明けられないような悩みを

私に教えてくれたり

 

〇〇(⇦私の苗字)は、昔から自分らしく生きることを

大切にしていた。それがすごくいいと思う

 

〇〇は、私の自慢の友達やねんで!

周りに〇〇のこと自慢してるんやから!

 

と伝えてくれたり

 

〇〇の語ること話す内容が好きやから、ぜひそのまま続けて欲しい

 

と言ってくれる人もいて

 

しばらくアイデンティティクライシスに苛まれていましたが

「ああ、私のアイデンティティはここにあったんだ」

ということに気がつきました。(本当にありがとう)

 

今回はいい機会だと思い、SNSとの関わり方について

今一度見直そうと思い、これまでのSNSと自分について振り返ってみました。

 

SNSを使い始めた18歳

高校卒業とともに大学入学が決まった18歳の春。

大学へ入学後もスムーズに早く友達が作れるように

なれたらと思い、mixiを始めました。

mixi

最初は楽しくmixiを使っていたのですが

徐々にしんどさを感じてきて、大学1年生の冬頃に辞めたことを覚えています。

mixi上で友達ができればできるほど、偽った自分を演じないといけない感じがして

書きたいことが書けない、表現したいことができない

なぜこんなに人に気を遣わないといけないのか?と思い、やめました。

また同時期にTwitterも流行りだしていましたが、文字数に制限がある中で

つぶやく楽しさがわからず、とにかくその当時はしがらみが嫌いだったので

SNSを一切やりませんでした。

Twitter

20歳の時に再開した新たなSNS

それから20歳の時に新たにSNSを始めます、それがFacebookです。

Facebook

ちょうど20歳の冬にイギリスへ2ヶ月間、語学留学へいきました。

この留学は私の価値観をガラッと変え、私に

「20代で海外へ移住する」という夢をもたらしてくれた貴重な経験となりました。

そして、このイギリス留学でFacebookという存在を知りました。

それまではFacebookという存在を知らず

イギリスへ行き、語学学校での初対面の人との挨拶では

名前の次に聞くことが「Facebookやってる?」でした。

語学留学から日本へ帰国後も、Facebookで繋がった外国人の友人と

しばらく連絡を取ったり、お互い投稿する写真などが見れて

日本に住みながら海外にいる気分になりました。

そして、しばらくすると日本でもFacebookが流行りだし

徐々に周りの友人と繋がるようになります。

LINEの登場

私の記憶では、私が大学2年生ごろから、徐々にコミュニケーションツールの主流が

メールからアプリに変わっていきました。

その中で主に使われるようになったのがカカオトーク、そしてLINE。

LINE

周りの友人たちが、これらのコミュニケーションツールで

四六時中友人とテキストや電話でコミュニケーションをとっているのを見て

違和感を感じたことを覚えています。

そして私がついにLINEを使い始めたのが大学4年生の夏ごろ。

周りに比べたらかなり遅いですが、そのころはとにかく

なぜみんながLINEを使いたがるかわからず

「必要に迫られたらダウンロードしよう」くらいにしか思っていませんでした。

FacebookからInstagramへ

私が社会人1年目の時に体調を崩し、休職し始めたときに

家で体を休めながら始めたのがInstagramです。

instagram

ちょうどその頃iPhoneがかなり流行りだし

iPhoneで写真を撮ることが主流となり始めた時代だったと記憶しています。

何気ない日常を四角く切り取り味のあるものにする

それがとても楽しかったことを覚えています。

そして徐々にFacebookからInstagramへ移行しました。

最初は知り合いも全然おらず、芸能人やブランド

写真専用のアカウントなどをフォローしておりましたが

徐々に周りの人たちも始めるようになり、身近な人との繋がりが

インスタグラム上で出来上がりました。

それからTumblerやPinterest、SnapChatなど色々なSNSが出てきましたが

一通り試してみて、今でも一番使用しているのがインスタグラム

ブログ広報用に最近始めたのがTwitter。

そして連絡手段としてのLINE。

この3つでした。

私にとってのSNSの目的

私にとってのSNSの目的は、

人と人との繋がりを意識するものではなく

自己表現の場であり、自分が伝えたいメッセージを伝えることでした。

特にインスタグラムは、現在私にとって日常生活に劇的に影響を与えるもので

SNSが主流になった今、個人を表現することが普通となり

インスタグラマーと呼ばれる人やハンドメイドで雑貨を作る人など

他のメディアではなかなか見れない「個」を強烈に表現できるSNSが

インスタグラムで、そこが私としては面白く感じるポイントです。

SNSの落とし穴

SNSは常に人と繋がっており、特にインスタグラムだと

ストーリー機能があって「今」の出来事をいつでも投稿できます。

2017年にアメリカへ移住した後も、私がいつでもどこでも

アメリカにいる「今」の自分を世界中に伝えられる

そして、逆も然りで、日本の友人の「今」を

約10,000 km離れたここアメリカからリアルタイムで見ることができます。

その一瞬一瞬は共有できるものの、人生という大きい枠で見た時に

当たり前ですが、私たちは各々別々の人生をたどっています。

常に繋がっているつもりですが

実は本当の中身は全然わからない状態だったりするのです。


またインスタグラムも然り、LINEも然り

このメッセージ機能が便利であり、落とし穴だと感じます。

いつでもどこでも簡単にメッセージが送れる手軽さに頼りきり

本当は目を見て声を聞いて話した方がいいことも

文字頼りになってしまいます。

特に込み入った話や議論になりうる話だと

話の行間をうまく読み取れず

また声のように生物ではない無機質な文字の羅列に対して

知らない間に、私は、私たちは、勘違いしていたり

相手の本心が全然分かっていなかったり。

そして、傷つけることも傷つくこともしばしば。


そんな私は最近、友人を傷つけてしまいました。

これはまさしく上に書いた通り

いつでもインスタグラムで繋がっており

日本とアメリカで全然会えないのに

彼女の全てを分かった気になっていました。

久々に連絡を取り始め、メッセージという

無機質な文字の羅列でコミュニケーションをしていく中で

私自身がそのメッセージの受け止め方を間違え

勘違いして、友人のことをお節介にも心配し

何度も何度も考えた文字の羅列を送りました。

しかし返ってきた反応は、私が予想するものではなく

私の勘違いで友人を傷つけるということをした自分自身に

とても残念に、そしてショックを受けました。


それ以外でも、別の友人と話す時も

文字の羅列を受け、時々どこかしらダメージを受けてしまう自分がいます。

本当は会って話をしたら分かり合えるんだろうなあと

モヤモヤしてまうのも事実です。

BlogやSNSのように私がホストで、記事や投稿を

不特定多数向けに公開していく

それに対してのリアクションが文字として返ってくる分には

何も感じませんが(むしろ今回みたいに予期せぬ嬉しい言葉をもらえたりもする)

友人との1対1のコミュニケーションにおいては

やはり文字ではなく、声色やトーン、表情を見ながら

話がしたいです。特に込み入った話や議論になるのであれば。。。

でもそれはこの歳になれば、時間が取れずなかなか難しいものですね。


今の10代、20代前半は、電話をしたことがなく

電話の掛け方、取り方がわからない人がいるとのことで

コロナ禍で生身の人間同士の触れ合いが激減し

文字という無機質なものから必死に相手の心を読み取り

言葉一つひとつに気を遣い、その言葉にも

疑いを持ってしまうような

そんな感覚に陥ってしまいまうことが、ごくたまにあります。

科学の進歩によりこの現代社会は、便利になりつつありますが

結局のところ、直接会えなかったとしても

画面越しでもいい、声だけでもいいから

生身の人間同士の関わり方をしたいと願います。

そして、いつでもどこでも「繋がっておく」必要性は

実はあまりなく、年に1回の年賀状、そして

この時代には珍しい郵便配達で受け取る手紙で

もしかしたら私たちは、十分気持ちを通わすことができるのかもしれません。


 

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Yukiko

日本生まれ日本育ちの純ジャパ。
日本の大学を卒業後日本で4年半社会人生活を送り、渡米。ニューヨークにある大学院を卒業後、就職でミシガンへ。企業で働きながら、ミシガンライフを謳歌中。
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