こんにちは!Yukikoです。
この記事では
アメリカでクビ宣告をされたときのハナシ
をしようと思います。
とは言っても、クビ宣告をされただけで
最終的にはクビにはなっていないので、今は大丈夫です!
でもあの頃は本当に本当にツラかった。。。
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全てはあいつから始まった
そうです、全てはあのコロナウィルスから事件は始まりました。
2019年8月にニューヨークの大学院を卒業し
9月にOPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)を利用し
ミシガンで就職しました。
そして就職の際に、会社から「OPT期間が終了する頃に就労ビザを申請しましょう」という話がありました。
私の大学院の専攻科目が文系だったので、OPT期間は1年間で
私がOPTで働ける期間は2020年9月の中頃まででした。
入社後、少しずつ必要な書類を集めながら、人事部とやりとりを始めていた矢先
2019年の12月ごろからコロナに関するニュースが流れ出し
数ヶ月後の2020年3月にはミシガンで初の感染者が報告されました。
一時期ミシガンの感染者数は全米で3番目に多かったほど
その次の日にオフィスで働いていると
と人事からの通達。
その後、バタバタと急いで自分のデスクにある荷物をまとめて帰宅。
そしてあっという間に、街全体がロックダウンになり
スーパー以外は基本的に全てクローズになりました。
このコロナパンデミックの時のように
日常生活がここまで変わったことが今まで無く。。。
夢のような、映画を見ているような感覚に近く
「大変なことが起こったなあ。。。」と
あの頃はそこまで自分ごとのように捉えていなかったと思います。
え?ビザの面接ができない?
最初は2週間のみのロックダウンでしたが
州知事より何度かロックダウンの期間が延長されていた頃。
当時のマネージャーから「ビザのことで話がしたい」と連絡がありました。
話の内容は
●私のOPTが2020年9月で切れるので、8月末までに大使館でビザ面接を受けて就労ビザを取らないといけない
●もし8月末までに面接を受けられなかったら、契約満了(つまりはクビ)
とのことでした。
また、私の会社は日本にもオフィスがありますが
コロナの影響で人件費削減となり、日本のオフィスでの新卒および中途採用も中止になっていました。
そのため、日本側での引き取り案も現実的ではないとのこと。
「とにかく今できることは、ビザの申請に必要な書類をすぐに集めて、面接予約をすぐにしてください」
と言われて、人事と弁護士のやりとりを急ピッチで進め
数日間で書類を準備し、大使館のWebサイト上で面接予約をしました。
私自身、学生ビザを取った時にビザの面接予約をしたのですが
当時はコロナ前の2017年だったので、予約できる枠はたくさんあり
2週間後くらいで面接日を設定できていました。
しかしコロナパンデミックが起こり
日本が初めての緊急事態宣言を出した2020年4月下旬時点では
面接予約の画面上では、5月から7月は予約不可となっていて
唯一8月だけが空いている状態でした。
「8月には大使館も面接業務を開始するという予定なのでは?」と思いましたが
その時点では再開日は未定で、この先の予定が全く読めないとのことでした。
マネージャーに相談し
「万が一のことを想定して、8月末付近に面接日を設定しておいた方がいいのでは?」とアドバイスをもらい
面接日を2020年8月24日(月)に設定。
この判断が結果的に功を奏します!
我慢の限界「なんで私だけこんな目に?」
このビザ面接の一件で、一気に自分のメンタルがやられました。
知らない土地に引っ越してきて、まだ1年も経っていない、知り合いもまともに居ない中。。。
毎日誰とも会わず独りで過ごさないといけない、ストレスフルな生活を送っていた頃
まさに私は首の皮一枚繋がれた崖っぷち状態に陥りました。
生きた心地がせず、まともに寝ることも食べることもできなくなり
パソコンを開いてマウスを握ることだけが、当時の私が精一杯にできることでした。
家で独りで仕事をしながら
「なんで私だけこんなことになってるん?」
と悔しさと悲しさと怒りと、色んな感情が入り混じり
涙が止まらなくなったことも。
20歳の時に行ったイギリス留学で、世界のスケールの大きさに感動し
「20代で海外へ旅立ち、異国の地に根を張り生活してみたい」と夢を抱きました。
それから必死に働いて貯めたお金を握りしめ
26歳の時に念願ニューヨークへ留学が叶いました。
そのままニューヨークで就職したかったのですが、希望叶わず
ミシガンのミの字も知らないままミシガンへ移り、就職したばかりでした。
自分の力が及ばずビザが取れないのであれば、それはしょうがないなと諦めがつきます。
しかし、今回はいきなり起こったワケの分からんウィルスの仕業。
このワケの分からない外的要因のせいで
ビザの面接すら受けさせてもらえない、挑戦すらさせてもらえない。
「今までの努力、今までの私の想いって一体なんやったんやろ?」
と独り部屋で大泣きしました。
今思い出しても泣きそうになるくらい、あの頃は孤独で辛かったなあ。。。
そんな状態が何日も続いたある日、鏡を見ると
今まで見たことないほど自分の顔がげっそりしており、頬は痩けて
首の筋がまるっきり見えるほどやつれていました。
「これはやばい」と思って、意識的にご飯を食べるようにし
両親とのFacetimeでは、私がここまで弱っていることを悟られないように
気丈に振る舞うようにしていました。
捨てる神あれば拾う神あり
5月に入り、ミシガンのルールが少し緩和された頃
ミシガンでできたアメリカ人の友人と連絡することがありました。
当時は、その子とそこまで仲良くなかったので、どんな人かあまりわからないまま
「実はこんなことがあって〜」と私のビザ面接の話をしました。
すると、私のことをすごく心配してくれて
「ルールも緩和されたし、ちょっと会おうよ!」と誘ってくれたので
その子が住んでいたシェアハウスに遊びに行きました。
久々に人と会い、すごくホッとしたのと同時に
私のことを全然知らないのに「大丈夫?」とみんなが気にかけてくれて
やっと生きた心地がしたのを覚えています。
それからも、ルールを守った上で定期的に会うようになり
楽しい時間を過ごすことができたので、ビザのことはとにかく考えないようにしていました。
再びメンタル崩壊、しかし一筋の光が。。。!
5月から6月の間は、このビザ面接についてはあまり考えないようにして
とにかく楽しく過ごしていましたが。。。
大使館が業務再開をする気配はなく
そのほかの詳しい状況説明もなされていない状態が続きました。
7月に入っても同じ状況だったので
私のマネージャーが、なんとか私の雇用を守ろうと日本のオフィス側に
ビザ面接が再開されるまでの間、一時的に引き取ってもらえないか
色々な部署に掛け合ってくれましたが。。。
返答はかなり後ろ向きな反応。
いよいよ「クビ」という2文字が具体的に見えてきて、自暴自棄になっていた頃
7月末頃、ついに大使館の面接業務が再開されるという旨が発表されました!
Webサイト上でその告知文を見た時は、飛び上がるほど嬉しく
これまでの想いが溢れ出して大泣きしたことを覚えています。
その後、すぐに日本行きのチケットを予約し、8月上旬に日本へ帰国。
2週間の隔離を経て、8月24日(月)に無事面接を受けることができ、就労ビザを取得できました。
ちなみに、4月の時点で面接予約をしたときに、もし8月1週目にしていたら。。。
2週間の隔離期間を確保できず、面接を受けれなかったので
オーバーかもしれませんが、本当に「奇跡の連続だったなあ」と思います。
この経験から学んだこと
今回このように崖っぷちに立たされて、本当に色んなことを学びました。
・人との出会いは本当に大事だということ
・私よりも大変な状況で日々生活をしている人
・安全に暮らせる家があり、食べ物に困ることなく生活が送れることが、どれだけ幸せなことなのか
ありきたりですが、この一件で痛いほど理解しました。。。
今回私は文字通り、クビになる一歩寸前まで追い込まれました。
この一件を通して
自分がいつクビになってもおかしくない、仕事を失ってもおかしくない、お金を稼げなくなってもおかしくない
ということ。
そして、会社に依存した状態がどれだけ危ないことなのか、身をもって実感しました。
だからこそ、一社員として企業に属しながらも
精神的にも金銭的にも自立した人になりたいと強く思うようになりました。
2020年は世界中の人にとって、本当に大変な年でしたね。
私自身も御多分にもれず、自分のメンタルを安定させるのに本当に大変でした。
この一件を通して「止まない雨は無いとはこういうことなんだな」と実感!!!
ぼちぼちいこ
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