私のおばあちゃん

みなさん、こんにちは!Yukikoです。


実は、このGW期間中に2年ぶりに日本へ帰省していました。


中5日滞在の弾丸スケジュールだったので、十分に日本を満喫できなかったのですが


久々、家族団欒の時間を持てて良かったです!


5年ぶりの甥っ子、初めましての姪っ子は本当に可愛かったなあ〜




そして、今回の一時帰国の大きな目的が、母方の祖母のお見舞いに行くことでした。


実は私の尊敬する人は、私のおじいちゃんとおばあちゃんなのですが


父方の祖父母と母方の祖父は、すでに亡くなっており


残るは母方の祖母だけになってしまいました。





今回、一時帰国する前に母から


「おばあちゃんがどんどん弱っており、いつ亡くなってもおかしくない状態」


と連絡がありました。


「今年で93歳、寿命がきてもおかしくないよな」と思いつつも


やっぱり悲しくて、朝からぽろぽろと泣いてしまいました。。。


この記事では、私のアイデンティティの一部である「私のおばあちゃん」について


備忘録を兼ねて書いていきたいと思います。


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目次

焼け野原から起業したママさん経営者

私のおばあちゃんは、第二次世界大戦前に生まれて


戦時中は女学校に通い、戦争で使う武器などを作っていたそうです。


おばあちゃんが通っていた学校は、戦時中に米軍から空襲にあったそうなのですが


攻撃に遭う前に何か嫌な予感がしたおばあちゃんは


「少し前から引きずっていた体調不調が未だ治らない」ということで


空襲に遭う前に早退し家に帰ったおかげで、生き残れたとのことでした。


あの時、もしおばあちゃんが空襲に遭っていたら、今のワタシはいなかったのかも。。。


その後、戦争が終わり、あたり一面焼け野原の状態からなんとか生きていくために


懸命に働き生活していた頃、大工さんのおじいちゃんと出会い、結婚しました。


まもなくして、娘である私の母と私の叔父にあたる息子が生まれたのですが


当時の生活はかなり厳しく、ぼろぼろの小さなアパートに家族4人で住んでいたそうです。



「このまま貧乏な暮らしをしたくない」


と思ったおじいちゃんとおばあちゃんは、小さな工務店を立ち上げ


大工さんのおじいちゃんが社長に


そして、おばあちゃんは経理面全般を担当し、工務店を経営するようになりました。


戦後の復興と経済成長の追い風もあり、工務店の経営状況は右肩上がりだったようで


私の母親が小学生の頃には、一軒家を建てられるほどで


母親の一人部屋には、小さいながらも豪華なシャンデリアがついていたほどでした。



工務店の経営をしながら、おばあちゃんは株や不動産投資もしており


自分の家族だけではなく、周りの人達にも色々とサポートをしていたそうです。

歳をとってもパワフルなおばあちゃんは


プライベートでは、俳句とカラオケが大好きでした。


特に俳句では、全国のコンクールで入賞するほどの実力者


おばあちゃんが作った俳句の中には、素人目から見ても


「おお〜センスがあるなあ」と感じさせるものもあったほどです。

おばあちゃんからの言葉

そんなパワフルなおばあちゃんとの思い出の中で


最も記憶にあるのが「おばあちゃんからかけられた言葉」です。


特に、私が悩んだ時におばあちゃんからかけられた言葉は


今でも心に残っており、それらの言葉は「私が人生を歩む上での礎」となっています。


Street

出る杭は打たれる、でも出過ぎた杭は打たれない

この言葉をおばあちゃんから言われたのは、私がちょうど中学生の頃で


当時の部活動での人間関係に悩まされていた時でした。


♀の嫉妬というものでしょうか




ある日の朝練後、遂に色々と耐えきれなくなってしまい


そのまま保健室に直行し、保健室の先生と担任に


「今日はもう授業受けない!帰る!」と大泣きしながら訴え


学校をさぼり、家に帰ったことがありました。




家に帰宅後、事情を知った母親に連れられ、おばあちゃんの家に行くことになりました。


そして、事の詳細を知ったおばあちゃんから、以下のように諭されたのです。


あんたの気持ちはわかるよ。でも、ここは踏ん張って出過ぎた杭にならなあかんよ。出る杭は打たれるけど、出過ぎた杭は打たれへんから。あんたがもっと上手くなって、誰にも及ばないほどにならなあかんわ。


てっきり私を「かわいそうだったねーよしよし」と


慰めてくれるモノだと思っていたのですが

現におばあちゃん以外はそうだったので



しかし実際は違い、おばあちゃんは私に

あなたがもっと頑張れば、あなた自身が変われば、周りの人は変わるよ



ということを私に教えてくれました。


その後、これまで以上に部活動に励むようになり


最終的には、市の選抜チームに選出されるほど実力がつき


気がつけば、周りからも応援してもらえるようになりました。

自分自身を大切にしなさい

これは、私が社会人1年目の時に過労で休職した時におばあちゃんから言われた言葉でした。


大学生の時に、必死に就職活動を頑張って内定を頂けた会社でしたが


入社後、程なくして長時間労働をさせられるようになり


ある日、過労とストレスで身体が思うように動かなくなりました。


お医者さんから「休職してください。今のあなたには休むことが必要です」


ときっぱり言われてしまい、入社してたった半年しか経っていない中、休職することになりました。


その時の私は、世の中から捨てられたような感じがして


上手く仕事に適応できなかった自分自身に不甲斐なさを感じ


本当に辛かった時期でした。


depress


悶々と休職期間を過ごしていると


ある日、私の状態を聞きつけたおばあちゃんから


以下のように言葉をかけられました。


今すぐそんな会社を辞めなさい。あなたをそんな会社で働かせるためにここまで育てたわけじゃない。あなたには他にやれることがある。自分自身を大切にしなさい。



おばあちゃんにこの言葉をかけられる前は


私自身、他人の目を気にしてしまっていて


「入社して半年で辞めるような私はどこに行ってもダメなんだ」と思い込んでいました。


休職する前からその会社に対してかなりの違和感を持っており


毎日「辞めたい、辞めたい」と思っていたにもかかわらず


「休職が終わったら、職場復帰をしなくてはいけないんだ!」と


いやいや思い込んでいた時でした。


relax


「自分自身を大切にしなさい」


すごくシンプルな言葉だけど、日々忙しく過ごしていると


いつの間にか「自分のこと」を置き去りにしていたりするんですよね。


おばあちゃんからこの言葉をかけられた時、ハッとさせられたのと同時に


「社会の目を一切気にしない、おばあちゃんから私へ一心に注がれる愛情」


に気づかされて、大きな自信になったんです。


あの頃の私には「私のことを無条件で受け止めてくれる愛情」が欲しかったんだと思います。


その後は、別の企業へ転職して3年半勤務し、今はアメリカでOLしていますが


あの時、自分自身を大事にして転職して良かったと思っています。

久々に会ったおばあちゃんは、私が知っているおばあちゃんのままだった

おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはみるみる老いていきました。


そして、遂には自力で生活するのが難しくなり、老人ホームに入ることになりました。


今回おばあちゃんに会いにいくにあたって、おばあちゃんについて


「認知症が進み、私のことはもう覚えていない」


ということを事前に聞かされていました。


実際、おばあちゃんのところへ面会に行くと


「あなた誰?」とキョトンとした顔でずっと私のことを見ており


「私の孫?」「名前は?」と何度も尋ねられました。


自分のおばあちゃんに対して


簡単な自己紹介をするのは、なんだか新鮮な気分でしたが


「アメリカへ留学し、今は現地で会社員として働いている」


ということを話しました。

「いつか自分のビジネスをしてみたいな〜」と話すと。。。

自分自身の自己紹介を軽く済ませると、おばあちゃんから


「で、あんたは将来アメリカで何がしたいの?」


と聞かれました。そして


「できたらいつか自分でビジネスをやってみたいなあ」


と伝えると


これまでフワっとしていたおばあちゃんの目が、いきなりキリッとしました。


そして「具体的に何がしたいの?」と聞かれたので


答えに困ってしまい、話を変えようと誤魔化しますが


「それで、あんたはどんなことでビジネスをしたいの?」


と食い下がられました。


適当に「フルーツでも売ろうかなー」と答えると


フルーツ売るのは大変やで〜。生物やし収穫できなかったら大変。ノルマに追われることになるし、朝はめっちゃ早いし〜…etc



とズラズラ〜とおばあちゃんによる説明が始まったのです。



認知症が進んでいる93歳のおばあちゃん。しかもフルーツ販売なんてしたことないのに、なんでこんなにスラスラと説得力のある話ができるねん?!?!


とびっくりしました。


そして、そのあとにおばあちゃんから


ビジネスがしたいんやったら必ず好きなことをしなさい

結局ビジネスで成功するには、あらゆる苦難を乗り越えないといけない。
それには好きなモノじゃないと頑張れないし、情熱は注げないよ


と言われました。


世の中には、あらゆる起業家や経営者がおり、色んな正攻法が散見され


時には、頭でっかちな考え方になりそうなときもあります。


しかし、私には一番身近にお手本となる人がいること


当時の経済状況や住んでいる国は違うかもしれませんが


このおばあちゃんの言葉ほど、私の心にスッと入ったものはありませんでした。

おばあちゃんの話をしようと思った本当のワケ

今回、備忘録として母方のおばあちゃんについて書いてみました。


私は、母方のおばあちゃんだけではなく、おじいちゃん、そして父方の祖父母に対しても


非常に尊敬と感謝の念があるのですが


唯一生きているのが母方のおばあちゃんであること


それに加えて、おばあちゃんとの思い出も一番多かったように思います。



おばあちゃんについて、このブログに書くことで


今の豊かな暮らしがあるのは、戦争経験者の人達が


平和で豊かな暮らしを願って一生懸命頑張って日本を復興に導いてくれたから



ということを、おこがましくも微力ながら伝えたかったんです。




今の世の中は非常に混沌としていると思います。


コロナパンデミックから始まり、ウクライナ戦争と世界経済への打撃は半端なく


世界中が大変な状況にさらされています。


日本では、バブル崩壊後、約30年間も不況が続き


給与は下がり続ける一方で、税金はどんどん上がっています。


少子高齢化は止むことなく、働き手は減る一方にもかかわらず


労働環境が大きく変わることなく、多くの若者たちにとって


「どうせ自分が頑張っても何も変わらない」と希望が見えず


思考を停止させて、すっかり疲れ切っている人もいることでしょう。




実はアメリカもしかりで、未だかつてないほどの国内の分裂に伴い


人種差別や治安の悪化、社会保障など問題が山積みなんです。




しかし、どんな時代でも世の中を良くするのは、紛れもなく「人」です。


かつて私たちの先祖が、日本という国を一生懸命に守り、復興に導いてくれたように


少しでも良い暮らしを実現させるためには


隣にいる自分の大切な人のために、少しずつでもいいから


日々幸せを願って頑張っていくこと、それがすごく大事なんだと思います。



宮崎駿監督の引退作品である「風立ちぬ」。大正から昭和へ、第2次世界大戦へ突入しようとする当時の日本の様子と航空技術者で零戦設計者である堀越二郎の半生を描いている。映画のキャッチコピーは「生きねば」。

主題歌である「ひこうき雲」がこの映画に合いすぎて、気づいたら感極まってぼろぼろ泣いていました

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この記事を書いた人

日本生まれ日本育ちの純ジャパ。
日本の大学を卒業後日本で4年半社会人生活を送り、渡米。ニューヨークにある大学院を卒業後、就職でミシガンへ。企業で働きながら、ミシガンライフを謳歌中。

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